河村清明著『JRAディープ・インサイド 主催者が語る日本競馬の未来』発売!


■序章 ダービーの東京競馬場にて

雨はいつ降り出したのだったか。
2002年5月26日、タニノギムレットが豪快な追い込みを決めた第69回のダービーを思い出すたび、あの日の、どんよりとした空の様子に似て、すでに曖昧《あいまい》になりつつある記憶にとまどいながら、雨粒が落ち始めたのはレースの決着がつく前だったのか後だったのかと、もう何度目かのとりとめのない思いに、またしばらくつきあわなければならなくなる。
出走各馬がパドックにいるとき、まだ空は泣き出していなかった。それは、実際に自分がパドックに立っていたから自信がある。
しかし、レースが終わり表彰式が始まったときには、もう大きな雨粒が落ちていた。私に言わせれば、ある意味でダービーを台無しにした張本人に、背後から透明のビニール傘が差し出されていたから、こちらもはっきりと記憶に残っている。
パドックの後はすぐにスタンドで仲間と馬券の検討を始め、レース自体もスタンドから見たため、結局雨の境目ははっきりしないままに終わった。だから、今でも気持ちの据わりを悪く感じて仕方がない。ファンファーレが鳴り、出走馬がゴールするまでの間に雨は降り出したのだろうか。それとも、武豊3度目のダービー制覇が確定してから落ち始めたのだろうか。
レース後、直線での迫力ある攻防に満足しながらも、一方でどうにも釈然としない気分を私は抱えていた。あの日の雨が気になって仕方ないのは、おそらくはそんな鬱とした気分と、境目のはっきりしない空模様とが、心のどこかで繋がっているからなのだろう。
私が言うダービーを台無しにした張本人、それは内閣総理大臣の小泉純一郎を指す。
いや、別に小泉が何をしでかしたわけではない。ただ、タイミングが悪かっただけのことだ。それでも今なお、私はあの光景を忘れることができない。主役であるはずの馬が置き去りにされた、馬場の上でのあの一瞬を。
周知のとおり、イレ込む癖のある馬には、他馬に先駆けて本場馬へ入れることが許されている。入場行進の音楽が鳴り、誘導馬に導かれて馬場へ入る前に、1頭だけでひっそりと返し馬ができるのだ。
興奮しやすい馬にとって、この措置は何ともありがたいことだろう。近ごろのファンは何かにつけて声を出すのが好きだし、ましてや「競馬の祭典」と呼ばれるダービーを迎えたのだ、馬場入場の時点から大歓声が沸き起こるのは間違いなかった。私のような枯れた馬券オヤジは、「静かに馬を迎えればいいのに」とつい思うのだが、今のファンに古い考えを押しつけても、無意味に終わるだけだろう。
この日、私の記憶に間違いがなければ、1頭の馬が先に馬場へと入ってきた。3枠6番のテレグノシスである。ご存じのとおりテレグノシスは、3週前にNHKマイルカップを制していた。最後の直線で、1番人気・タニノギムレットに不利があったとはいえ、それでも堂々たる勝利にケチがつくわけではない。距離、ローテーションに不安がささやかれていたが、それでも上位の4番人気に支持されていた。
私はこのテレグノシスの返し馬に注目していた。他馬に先駆けてパドックを出たのがわかったから、急いでスタンドへと引き返し、双眼鏡をかまえたのだ。
観衆のほとんどが気づくことのないアクシデントが起こったのは、本馬場入場の始まる直前、馬名をアナウンスされることなくターフを踏みしめたテレグノシスが、まさにこれから返し馬に入ろうとする瞬間だった。
ちょうど同じタイミングで、ゴンドラ席にいた小泉純一郎がテラスへと姿を見せた。手を振る姿がターフビジョンに映し出され、当然、競馬場全体を拍手と歓声とが包み込む。この来場が、たとえ支持率回復策のひとつだとわかっていたにせよ、それでも1958年の岸信介以来、実に44年振りに現役の総理大臣が訪れたとなれば、競馬ファンにしてみれば嬉しくないわけがない。馬場を見つめ続けていた私とは対照的に、スタンドの前にいたファンのほとんどが振り返り、ゴンドラ席に向かって手を振った。そのときの場内の盛り上がりは、もしかすると、これまで来場したどの芸能人より大きかったかもしれない。
とばっちりをまともに受けたのがテレグノシスだった。馬にしてみれば理解不能なほどの大歓声に包み込まれ、1コーナー寄りのターフの中央で、たしかにおびえた仕草を見せた。歓声から逃げるように首を上げ、ハミをくわえたまま何度も首を上下に振り続けたのだ。
鞍上の勝浦正樹は馬の興奮を感知したのだろう。すぐに馬をうながし、歓声から遠ざかるべく返し馬を試みた。府中の長い直線を、レースとは逆まわりに、待機所の方へ走らせようとした。しかし、小泉が再びファンに向けて手でも振ったのか、そのときにまた大きな歓声が起こった。勝浦騎手がいくら促しても、明らかに観衆に怯えたテレグノシスは、キャンターを始めることができなかった。結局、直線の方へは脚を踏み出すことができず、当初目指した4コーナーではなく、1コーナーから2コーナーに、まるで歓声から逃げるように走っていくのが精一杯だった。
――レースに影響がなければいいけど……。
一人心配を大きくする私の耳に、そのとき、馬場入場を告げる音楽が聞こえてきた。大観衆の関心は、すぐにわが国の首相から、テレグノシスを除く出走各馬に移ったようだった。
私がテレグノシスの返し馬に注目したのは、単純ではあるが理由があった。この日、グリーンチャンネルのゲスト解説者として、ビッグレッドファーム代表の岡田繁幸が招かれており、番組の途中、パドックの映像を見た後で、こう発言したのだ。
「ほぼ間違いなく勝つって言っていい馬を見つけました」
それがテレグノシスだった。
抜きんでた相馬眼の持ち主としてつとに有名になった岡田とは、競馬を共に観戦する機会が多い。穴であろうと本命であろうと、彼は馬券をよく当てるが、とりわけダービーではその実力の発揮されるシーンをよく目にする。理由は簡単だ。すべての馬が最高に仕上げられているため、馬の能力が結果にそのまま反映されやすい。岡田の眼はその日の出来うんぬん、馬体うんぬんよりも、馬の持つポテンシャルを見抜く力に優れている。だからこそダービーにおいて、自らの真骨頂が発揮される。前年のダービーにおいても、有力視されていたクロフネを切り捨てて、「ジャングルポケットが勝つ! と断言した。ミホノブルボンのダービーでも、またスペシャルウィークのダービーでも万馬券を的中した。そんな岡田の言葉を、とりわけダービーの予想だけは聞き逃すまいと、パドックとスタンドを往復しながら、馬券オヤジの私は、グリーンチャンネルの放送にしっかりと聞き耳を立てていたのだ。
前日、個人的に聞いた岡田の予想は、本命タニノギムレット、ゴールドアリュールが穴で面白い、というものだった。なのにパドックで実馬を見て、あっさりと考えを変えてみせたことになる。岡田の場合、予想の変更自体はとりわけ珍しいことではないが、よほど自信がないとテレビで断言するには至らないだろう。しかも前述の言い方には、「相当自信あり」のニュアンスが漂っていた。どうやら彼がテレグノシスに何かを見取ったのは間違いなく、その馬がどんな返し馬をするか、岡田予想の信奉者として、私はひそかに注目していたわけだ。
だが、残念ながら結果11着とテレグノシスは実力を発揮できなかった。中団を進み、流れ込んだだけのレースに、さしたる見せ場はなかった。
この結果が距離によるものなのか、皐月賞からNHKマイルカップを経たローテーションが災いしたのか、それともダービーを勝つ能力に恵まれなかったのか、それは誰にもわからない。ただ、前述のシーンを目撃した私には、少なからず馬に精神的なショックがあったと思えてならなかった。
レース後の勝浦騎手のコメントに注目したが、それらしき指摘はなかった。だから、私の思い過ごしである可能性は依然として否定できない。だが、ひとつだけたしかに言えることがある。それは、私が首をかしげたあの瞬間、主役であるはずの馬の存在が、一瞬ではあっても競馬場から完全に忘れ去られてしまっていたということだ。ファンにとってひどく残念な現実が、眼に鮮やかなターフの上に、あまりにも無造作に置き去りにされたままだった。
偉そうに言わせてもらうなら、人気回復策のひとつとして競馬場を訪れた政治家など、たとえそれが一国の首相であるとしても、真の競馬ファンでない限り拍手をするに値しない。小泉純一郎とエリザベス女王とでは、競馬に対する根本が違うはずだ。また、本人の言葉によれば買った馬券も2万円であり、売り上げに大きく貢献したわけでもない。ダービーに2万円なら、レース後、競馬場の西門を出てバラックのような飲み屋に行き、安酒で憂さを晴らすしかないファンの方がよっぽど大きく勝負している。あの瞬間、年に一度のダービーを迎えた競馬場で、私には何かがねじ曲げられたような気がしてならなかった。大袈裟に言えばそれは、競馬場で守らなければならない馬への配慮であり、大レースであるからこそとりわけ尊重されなければならない秩序であり、さらにはわれわれファンのダービーへの思いだったはずだ。
――競馬は、ダービーは、いったい誰のためにあるのか……。
最終レースが終わり、3コーナーからスタンドの屋根へと鮮やかに立ち上がった二重の虹を見ながら、私はそんなことを思った。そして、そのときの思いが、少しの時間を経て、本書を書くきっかけへと変わっていった。
本書ではJRA職員へのインタビューをもとに、「これからの競馬がどうなるのか」を私なりにまとめようと試みた。競馬は誰のためにあるのか。そう考え始めた私の中で、「そもそも主催者は今の競馬をどう考えているのだろう」と気になって仕方なかったからだ。
私を含め多くのファンはそれぞれに競馬への疑問を抱えている。「われわれの声ははたして届いているのか」。「なぜああも毎年競走番組が変わるのか」。「厩舎制度は、馬産地は、国際化の問題はこれからどうなっていくのか」。私はJRAの職員にアポイントを取り、ひとつひとつの質問をぶつけていこうと思った。それがどれほどの意味を持つのか、正直、自分でもよくわかっていなかったが、それでも大きな転換期を迎えた今の競馬において、いや、あえて言えばこんな時期であるからこそ、「これからの競馬がどうなっていくのか」を探る行為には、きっと何らかの価値が生まれるのではないかと信じてみることにした。
――ファンの素朴な疑問に、競馬の現場を取り仕切る人たちはどう答えるのか。
少しワクワクし、同時にかなりの緊張を胸に抱え込みながら、取材はスタートした。
競馬雑誌や書籍、新聞を見れば気づくが、JRA職員の肉声が表出する機会は意外なほどに少ない。またJRAに対する批判のほとんどは「お役所体質」のひと言ですまされてきたと思えてならず、そこから先の実態が垣間見られることは、これまでなかったように思う。はたしてJRAの素顔とはどのようなものなのだろうか。
あくまでニュートラルな立場で取材を進めていくことを、私は自分に課した。簡単に言えばそれは、最初から色メガネをかけてJRAの人たちを見ない、ということになる。
――みんなが「お役所体質」だと言うが、本当にそうなのか? その視点を失っては真実は見えてこないように思えてならなかった。
以下に本編を始めるにあたって、いくつかお断りしておきたい。本書では、組織的な意味での「JRA論」を展開するつもりはないので事前にご承知おきいただきたい。あくまで、われわれファンが感じる疑問をJRAにぶつけ、そこから今後の競馬のあり方を明らかにする、が主旨になっている。また、登場いただくみなさんの敬称は勝手ながらすべて省略した。役職・年齢などは取材時点のものであり、さらにもうひとつ、最近の競馬は変革のスピードが速く、取材時と現時点とですでに状況の変わっているケースも考えられるため、一部のコメントを除き、インタビューの最後には日付を記すことにした(月日だけが書かれている場合はすべて2002年を指す)。勝手な願いかもしれないが、本編の中にある「時差」の存在を、頭の片隅に置きつつ読んでいただければ非常にありがたく思う。
夏の盛り、私は初めてJRAの本部を訪ねた。まずは、取材そのものに応じてもらえるのかどうなのか。その点をたしかめる必要があった。

kindleで買う!
koboで買う!
そのほかの作品をチェック!

割引キャンペーンや新刊情報を知りたい方はこちらからメルマガ登録!


Switch to our mobile site