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はじめに 教養がカネになる

私が株式市場から取ってきたものは「資産」と呼べるほどのものではない。ほんのささやかなものだ。今、東京証券市場に五〇〇兆円強の時価総額がある。誰がどれだけ取っていってもいいのだ。その一〇〇万分の一を自分の取り分として持ってきても、誰も文句はいうまい。一〇〇万分の一だ。ささやかなものだ。ちなみに、それは五億円だ。
この札束の山を目の前にして、この巨大で公正な自由市場を目の前にして、黙って見ている手はないだろう、といいたいのだ。
だが私は、自分がやったこともないことを人様に説くというほどの自信家ではない。
一方、自分の体験だけから説いても、私の持っているものは、たかだか四六年間の体験知にすぎない。とはいえ、私は野村證券の第一線で顧客の資金を扱ってきた期間が前半で、後半は証券マンの拘束を離れて自由に自分の資金を扱って増やしてきた。つまり、私は人様のカネを何年も扱い、その後はもっぱら自分のカネを扱ってきた。人様のカネと自分のカネとはやり方が違うし、心境がまったく違う。私はその両面を熟知した。
ここに書くことはまったく見識を疑われそうだし、往年の顧客のことを思えば、誠に忸怩たるものがあるが、事実として明らかにしておこうと思う。私は結果的には人様の資金を実験台として体験知を積み、その後の三〇年を自分のカネを増やすことに専念したのだ。
私は、錦糸町支店長のときに故あって野村證券を辞めた。それはたしかに青春の終わりであったが、人生の終わりではなかったのだ。いや、むしろ人生はそこからはじまった。三井の会社で取締役を一六年務めたが、これはいわば世を忍ぶ仮の姿であって、その実態は投機市場の果敢なプレーヤーであった。この四六年間の体験知の上に築かれた実績に加え、今まで長く交際の続いた幾多の大投資家たちの成功・失敗例と、その間に蓄積してきた古今東西の大投資家の言動・事跡や大破綻の歴史など、そういうものから学んだすべてを総合して解説を加えたのが本書である。読者諸賢は、現実にはいもしない(いても〇・〇一%以下の例外的存在)の例を参考にしてもトクになることはないはずだ。
たとえば、一九九八年にソフトバンク株を一二〇万円買っておいたら、翌々年には二億円近くになったはずだし、同じ九八年に光通信株を二六〇万円買っておいたら、翌々年には二億四〇〇〇万円になったはずだ。だが実際には一二〇万円でソフトバンク株を買った人は、よくても三〇〇万円か五〇〇万円で売っているし、二億円になって喜んだ人は一億五〇〇〇万か一億七〇〇〇万で買った人々である。私は知っている。株式市場とはそういうものだ。
本書は神がかり的な〇・〇一%の人を対象とはしない。私にそんな能力もない。本書は普通の常識的な九九・九九%の人々を対象としている。「ほんの少々の努力を継続していけば」という条件つきながら、誰にでもできる方法を説いている。現に、この私がやってきたことだ。私がやってきた実績を、私の取引先の証券会社の顧客勘定元帳を公開しながら説明しよう。
読者諸賢よ、公正で巨大な札束の山へ、ささやかな冒険の旅に、心躍る旅に、さあ出かけようではないか。適度の緊迫感。人のできないことを俺はやったんだという快感。我慢の報酬・恐怖の報酬としての札束。私のいう「教養がカネになる」証拠としての札束。慢心して間違わないように自分を律するストイシズム。質素に暮らすことが趣味となる心境。こんなスリリングで楽しい場はこの世にない。

〈理論編〉

第1章 本気で儲けたいあなたに

1 すべて「本物の記録」である

私は全財産を市場でつくってきた

本書は、私の著作『投機学入門』(ダイヤモンド社、二〇〇〇年)をおおいにほめた書評を書いてくれた当時の日本証券新聞編集局長、岩本氏の依頼によって行なったラジオ番組で、私が六回にわたって語ったことを大幅に補稿してまとめたものである。
ダイヤモンド社から出た前二冊は多少かたい本で現在、産業能率大学の投棄学入門講座の教科書になっているし、韓国語に訳されてかの国で出版されようとしている。しかし、本書で目指したのは、そういうことではない。本書は私のすべてをさらけ出して投資家のために書いたものであって、第三者的立場で論文調に書いたものではない。いわば、私のささやかな資産形成のプロセスと実績であって、すべて実体験に基づいた真実を書こうというのである。
その前に、私の投資実績のあらましを紹介しておこう。投資実績といっても、その額はささやかなものだが、この程度のことなら本書を読めば誰でもできるということをいいたいために、あえて公開しておく。
私はある上場会社の八番目の株主で、『会社四季報』に大株主として載っていた。また別の銘柄では、個人株主の八番目くらいだったから『会社四季報』の大株主の欄には載っていないが、私の経歴から見ておよその見当はつくであろう。
それとは別に、発展途上国への投資として稼働している流動資金や国内証券への投資資金がその何倍かあり、不動産は小さな自宅と賃貸用のマンションを所有、旧軽井沢と蓼科高原で夏の三週間を過ごしている。ゴルフのホームコースは自宅から二五分の常用コースと、軽井沢、蓼科に夏用のものがある。これらはすべて株式市場から取ってきたものである。
時代は必ずしもよくなかった。私が故あって野村證券を去ったのが一九八〇年のことである。在勤中は証券会社社員としての拘束があり、自分の投資活動は自由にできない。そのため、株式投資をはじめたのは野村を辞めてからである。
九〇年にはバブルがはじけ、人の一生に一度あるかないかという大暴落も経験した。平均株価が一三年間で八〇%も下がるという、およそ先進国では見られない未曾有の混乱である。最近でこそ、バブル崩壊後長期間続いた株価低迷期を脱したとはいえ、いまだに八九年末の最高値の「半値八掛け二割引き」(三二%)をようやく越えて半年という水準である。この「失われた一〇年」で、たいていの人は資産を減らした。そんな時代にあっての前述の実績である。
私の父は、私が小学校の頃に戦死し、母が高校の教師をして家系を支えてきたので、父の遺訓と母から受けた教育のほかは遺産と呼べるようなものは一つもなかった。また、私は野村を去った後、売上二三〇〇億円、経常利益最高時九〇億円という一部上場会社の取締役を一四年務めていたが、その役員報酬や退任慰労金は微々たるもので、ここで述べても信用されないほどの金額だったから、資産を増やすどころか生活で手一杯だったと思ってもらってよい。今ある資産のすべては株式市場から持ってきたのだ。

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